日本人の外国人に対する劣等感
私が会社を起業しようと思ったキッカケは今までたくさんあったのですが、その中の一つに「日本をより国際的な国にしたい」というのがあります。それは、私がそのようにしなければと思った経験が数多くあるからです。
例えば、日本人はどうも外国人に弱いようで、外国からのお客様に対してあからさまに怒ることがなかなか出来ないようです。
以前に私が働いていたアメリカの会社でも、日本のお客様に多大な迷惑をかけアメリカの本社から責任者を連れて謝りに行くと、たいてい日本のお客さんは本心は怒っているにも関わらず、「ウエルカム・トゥー・ジャパーン!」とか言いながらニコニコ応対してくれます。(但しこの人がアメリカに帰ってからは、お客様のニコニコ笑顔は無くなって、私がお客様よりひどく怒られますが・・・)
これは実は日本人は外国人(特に白人の人)には優しい紳士でいようと思って、あからさまに怒ることが出来ないのです。もしかして日本人には、潜在意識の中に、外国人に対して劣等感を持っているのではないかとも思っております。そんな経験を数多くして、日本人はもっとより国際的になって、外国人に対して劣等感を持たないようにしなければと思いました。
そうしなければ海外企業とのビジネスで、優しい日本人はなめられっぱなしで、結局は容赦ない国際ビジネスに負けてしまいます。
私たちの会社は、海外の優れた会社を日本市場に参入させておりますが、それにより海外企業とのビジネスによる交流、それに伴って文化的な交流に微力ながらも貢献できればと思っております。そうすることで、海外の国に対する理解も深まり、日本人の変な劣等感も無くなってほしいと思っております。
人間どうせ死ぬんだから
決して私をあぶない人間であると思って欲しくはないのですが、私は常に何をしていても心の中で「人間どうせ死ぬんだから」と思って生活をしております。この習慣は恐らく学生時代からずうっと変わっておりません。
とは言ってもこれは決してなげやりな考えではなく、逆に「人生は有限であるから貴重な時間は有意義に使わなければならない」ということで、こう思っているのです。
ですので仕事をしている時もテレビを観ている時も人と会っている時も本を読んでいる時も、その時間が自分の価値観に従って有意義であったと思えれば問題は無いのですが、その時間が自分にとって無駄であったと思った時は本当にガックリしてしまいます。(但し無駄な時間だったと思ったことが後々になって実は有意義であったと思ったことも多々あります。)
特に仕事をしている時は、その働いている時間がお金になるような時間が有意義な時間であると思ってしまいがちですが、実際は私はそのようには思っておらず、むしろその働いている時間が自分の価値観に従って社会に役立っていると思えれば有意義であると考えております。
私以外の人が、そのように考えて生活されているのかどうかは判らないのですが、私がこのような考え方になったということは自分自身よかったなあと思っております。というのも貴重な時間を無駄に過ごすということは、自分の人生の一部分をドブに捨てているように思えるからです。
このブログのタイトルを”Life is short, live it!”としたのも、以前アップしたスティーブ・ジョブスのスピーチ(Stay hungry, Stay foolish)に共感できるもの、恐らく無意識にこの考えがあるからなのかなあと改めて思っております。
We Are The World
ライオネル・リッチーさんが13年ぶりに来日されているということで、マイケル・ジャクソンさん、そしてその他のアーティストたちと作り上げた名曲”We Are The World”をYouTubeにて観てみました。
25年程前の曲にかかわらずとてもインパクトのある素晴らしい曲で、その後すぐにiTunesでダウンロードもしてしまいました。そしてこの曲をリピートして聴き、歌詞を改めて読んで思ったことは以下の通りです。
- 自分は社会に生かされているから、自分の出来ることで社会に対しても貢献をするべきである。
- 一人ではなく共感する仲間と行動起こすことで、社会へのインパクトが大きくなりうる。
- 仕事の目的はお金を稼ぐということではなく、社会へ役立つものであるということが大前提である。
ところで先日読んだゾマホンさんの文章で、アフリカには水が透明であるということを知らないで死んでいく子供は数多くいるということを知って、改めて日本は極めて恵まれている国だなあと思いました。
そんな恵まれた日本に住んでいる私たちは、恵まれない国に住んでいる人に対して具体的に何らかの行動を起こすということが、最低限の責任ではないかと思いました。
記憶力が衰えたような・・・
前回のポストでスケジュール管理に手帳は使わずiPhoneを使っていると書きましたが、以来なんだか記憶力が落ちてきたような気がします・・・先日とある雑誌の読んでいたら、とある人のコメントにも同様なことが書いてありました。
もしかして紙とペンを使わずにiPhoneにすべてメモやスケジュール等を任せてしまうと、頭が衰えてくるのですかねえ。記憶力の衰えとiPhoneの使用に関して相関性があるかわかりませんが、やっぱり手帳を買ってみようかなあと思っている今日この頃です。
手帳の季節
私は社会人になって以来、なぜか手帳というものが大好きになり、今まで色々な手帳を試してまいりました。そしてこの10月になって来年用の手帳が出始め、雑誌「プレジデント」も手帳の特集をやっているということで、早速この雑誌を買ってしまいました。
そして想像通り、この雑誌の特集では手帳の使い方や選び方等の記事が多くあったのですが、ひとつ気になったというか面白いなあと思ったことが、今回の特集に関連した「激務トップ直伝!わが手帳の使い方」というコーナーの中の、日本マクドナルドの原田社長のインタビューのところでした。
このコーナーでは、全部で4名の会社トップの手帳の使い方や時間の使い方についてのインタビューを扱っているのですが、原田社長だけ明らかに他の3名と異なっていました。他の3名はこのインタビュー記事に本人の写真と使用している手帳やスケジュールの写真を載せているのですが、原田社長の場合はなぜか本人の写真に加えて、腕時計とブラックベリー(携帯電話)だけなのです。
しかもその記事を読んでみると、以下のようなことを言われておりました。
浮かんだアイデアは、覚えるのでメモは要りません。書くと安心して忘れてしまうでしょう。(中略)だったら気合いを入れて記憶した方がよっぽど安心出来ます。また常にブラックベリーを携帯していますが、これはメールの送受信専用で、手帳としては使っていませんし、使う予定もいまのところありません。
こんな感じで原田社長のコメントは、他の3名と明らかにことなる内容で、むしろメモするなら気合いで覚えるとか、ブラックベリーも手帳として使わないという風に、この雑誌の特集とある意味逆の内容ともとらえられる発言をされておりました。
それを読んで、私はなんだか安心してしまいました。やっぱり手帳の選び方とか使い方等のノウハウ的なものよりも、結局は気合いなんだなあと勝手に解釈をしたからです。そして私も仕事は情熱や気合いと根性と思っておりますので、今回の手帳特集は読むには面白かったですが、だからと言って、そのまま記事の内容は真似することは無いと思います。
そもそも、私は先月よりiPhoneを使用しており、それ以来、手帳を使用することはほとんどなくなってしまったので、記事の内容を真似しようにも出来ないです。一方で、iPhoneは本当に便利ですなあ。もしiPhoneの特集の雑誌が出たら、またすぐに買ってしまうかも・・・
会社の目的とは?
デフタ・パートナーズグループ会長の原氏が、ソーシャルエコーというサイトのインタビューで、以下のようなコメントをされていました。
「会社は株主のもの」という間違った考え方がはびこっているとお話しましたが、会社というのは、経営者や従業員、株主、顧客、地域社会、地球環境まで含め たステークホルダー全てのものであるはずです。ですから会社の目的というのは、事業を通じて社会に貢献するか、事業で生じた利益を使って社会に貢献する か、いずれかしかあり得ません。
私が仕事をしている会社は、上のどちらのパターンになるのだろうかと考えてしまいました。どちらにも当てはまらないようなことはないように、日々の仕事に精進したいと思います。
Hot Pepperの木村カエラさんのCMが気になる
最近よく観る、Hot Pepperの木村カエラさんのCMがとても気になります。
木村カエラさんの歌が気になるのか、スヌーピーやそのお友達と楽しそうに音楽を奏でているのが気になるのか、自分でもわかりませんが、少なくとも観ているだけでほほ笑ましくなるようなCMです。
仲間と何かを作っていくということは、なんだか素晴らしいですなあ!
時間の流れと空気の流れ
我ながら驚いたことに、もう1カ月ほどこのブログをアップしていないということに気付いてしまいました。自分の感覚では、前回のアップはそれほど前ではないと思っていたので、時間の流れのあまりの速さにショックを感じてしまいます。
確かにこの1カ月は仕事の方でかなりバタバタとしていたので、この時間の流れの速さは充実していたからなのかなあと思ったりもしますが、その一方でそんな思いは自分自身への言い訳であって、結局はただ単に仕事漬けの時間が過ぎてしまっただけなのではとも思ってしまいます。
そもそも「充実した時間」とは何であるかということが、私には未だにわかりません。それは「単に忙しい時間」なのか、「生産性の高い時間」なのか、「記憶に残る時間」なのか、「人に役立つことをした時間」なのか、何の時間なのでしょうか?
少なくとも私の感覚では自分が過ごす時間のうち、「充実した時間」が多い方が、「何もしない時間」と比較して良さそうな気がしますが、そもそも比較すること自体に意味があるのかと思ってしまいます。
私は学生時代に流れの勉強(流体工学)を少しばかりしていたのですが、上のような考えを空気の流れで考えてみると、例えば「速度の速い空気の流れ」と、「圧縮された空気の流れ」と、「色のついた空気の流れ」と、「森林の空気の流れ」と、どの空気の流れがよいのかと考えるような感じかと思いますが、結局は空気の流れですので、そんな比較をしても意味はありません。
おそらく同様に、人生の中の時間の流れの種類について考えてみても、したがって人の時間の過ごし方について考えてみても、あまり意味の無いことなのかもしれません。ただし時間は空気の流れと異なって不可逆性(さかのぼることは出来ない)であるので、少なくとも、決して後悔をするような生き方だけはしないようにしようと思っております。
郷ひろみさんはスゴイ
最近よくテレビで郷ひろみさんを観ます。私はテレビで郷さんを観るたびに、郷さんは本当にすごい人だなあと思ってしまいます。
もう50代であるにもかかわらず、スタイリッシュで、ダンスにキレがあり、唄うとカッコよく、バラエティー番組ではタイミングよく「GO!!!」を叫んで笑いを誘い、しかも常に謙虚でいるという、もうスゴイとしか言えないような方だと思い、そのためとても尊敬をしております。
その一方である番組を観たところ、郷さんは過去に色々と苦労をされているようなのですが、それにも関わらずテレビに出るときはいつも元気で笑顔でいられるので、郷さんのような人のことをプロフェッショナルというのだなあと思ってしまいます。
そんな中、私の大好きなYouTubeで郷さんのバラード、「僕がどんなに君を好きか、君は知らない」を発見し観てみたのですが、なんだか歌声に過去の全ての苦労が見え隠れするというか、そのような苦労をされたからこのような素晴らしい歌を歌えるのかなあと思い、感動をしてしまいます。
私も、郷さんのようなプロフェッショナルな人間に少しでも近づけるよう、努力をしなければと思いました。そこまで到達するには、あと何十年かかるかわかりませんが・・・あるいは、郷さんのプロフェッショナルさは、郷さんが過去に経験されたご自身の苦労によって築かれたものかもしれません。
ことばの重み
私は占いとかいったような基本的に根拠のないものは全く信じてはいないのですが、人の言葉、それが特に自分が尊敬をする人の、自らの経験に基づいた言葉であるならば、その内容を信じます。
私は自分自身のことを極めてポジティブであると思っていますが、それは確実に、私の恩師が言ってくださった下のような言葉があったからこそ、今現在もポジティブでいられるのです。
Satoshi, tu vas réussir ta vie!
(サトシ、あなたの人生、きっとうまくいくよ!)
この言葉は私が学生時代に、1年ほどフランスに留学していた時の恩師であるエミリアが、日本への帰国前に言ってくれた言葉です。恐らくこの言葉を見ただけでは誰でも、普通の励ましの言葉のように見えるかと思いますが、私にとって決して忘れられない言葉となっております。
エミリアは、現代の日本人には恐らく想像できないほど苦労をした人で、ブラジル人でフランス語が全く分からないにもにも関わらず、家庭の環境の理由で夫を残してブラジルから小さな子供を連れてフランスに逃れてきました。そして、フランスでの貧しい環境で苦労をしながらフランス語を学び、ネイティブではないというハンディを乗り越えてフランス語の先生の資格を取り、大学でフランス語を教えていました。
授業中のエミリアは、生徒の前ではまさにラテンの人という感じで、いつもとっても陽気でいましたが、エミリアが発する言葉の一言一言には、とても重みを感じておりました(とはいっても、私は出来の悪い生徒でしたため、いつもエミリアに迷惑をかけておりましたが・・・)。
そんなエミリアの「うまくいくよ!」という言葉、それがほんの一言ではありましたが、私に大きな影響を与え、根拠は無いながらも自分への自信ができ、ポジティブに生きていける今の自分があるのです。
恐らく世の中には、ある人のたった一言によって人生が変わったという人もいると思いますし、少なくとも私はそうです。そういった言葉の重みというのは、その言葉を発する人の経験によって成り立っているのものかと思います。
私はきっと、エミリアの100分の1も苦労をしたことがない人間ですが、いつかエミリアのような立派な素晴らしい人間になりたいと思います。
残念ながらエミリアはもう亡くなってしまい、この言葉に対するお礼は言えなくなってしまいましたが、私がいつかエミリアのような重みのある言葉を言える立派な人間になって、世の中に少しでも役立てるようになることが、エミリアに対するお礼になるのかなあと思っております。